<人間・人生>

人間は他力で生きている

「壁を越えよう」という言葉は、そびえ立つ壁を見上げながら、何が何でもコイツを超えてやるんだという力こぶを作り、自らの力で道を切り開かなくてはいけないかのように聞こえることに、気づいたからだ。若いころはたしかにそんなふうに自力で越えたつもりだったかもしれない。でも、今になってみると、人間はもっと他力で生きている存在じゃないかという気がする。(※1)

若い人へのメッセージとして「壁を越えよう」と伝えてきたことに、上記のような“続き”を加えつつ、さらに「振り返ると、僕はいつも人に押され手を引かれ時代の波にもまれながら、いつの間にか壁の向こうに着いていた」と石ノ森は語る。

痛いのも生きているから

壁は焦って登らなくてもいいよ。途中で、どたんと落ちて、ものすごく痛い、苦しい思いをすることもあるだろう。そのときは、泣いたりわめいたり、ジタバタすればいい。そのうちに痛いのも生きているからなんだよなぁ、苦しいのも人生のうちだよなぁと、自分のことを笑っておもしろがれるはずだから。(※1)

大病を得て入退院を繰り返した晩年に、若い人へ語ったメッセージ。そこには去りゆく自分を意識しつつも新しい世代に向けるあたたかい目線が感じられる。

どんな出会いも必然

出会いに逆らわないでほしい。どんなことが起こっても、それはきっと、そのときのその人に必要なことなのだ。そういう出会いによって、先の流れが変わっていく。いろんな出会いが流れを変えて、微妙にねじれたり、からまったり、熱くなったりしながら歩いていく。それが人生じゃないだろうか。(※1)

落ち込んだり、引きこもったりする期間があったとしても、それも本人にとって必要な時間かもしれない。自然な流れなのかもしれない。若い人ばかりでなく、あらゆる世代に染みる人生訓である。

宇宙の視点で

例えば―宇宙空間では上も下も左も右もない。
“視点”を変えることで人生も変わることをおぼえておくといい。(※2)

ひとつの視点で凝り固まらず、さまざまな視点から物事を見るということ。これは作品とともに意識が宇宙に飛び出していった作家としての“気づき”だったのだろう。

※1=不肖の息子から不肖の息子たちへ 絆/NTT出版 鳥影社
※2=学習研究社「高1コース」1979年
※3=「風のように」