<精神性>

アルかもしれないし、ナイかもしれない

最先端科学の詳しい中身はよくわからないけど、少なくとも「アルかもしれないし、ナイかもしれない」という意識の余裕が必要なんじゃないかと思うのだ。そういう感覚をもともと持っていたはずの日本人がなぜかバカにして切り捨てているのは、ものすごくもったいない。日本人が世界に伍して二十一世紀を担っていくとすれば、精神文明以外にないだろうと思う。だから、もっと柔軟性のある生き方というか、UFOも面白がり木の精霊にも話しかける感性を取り戻してほしい。(※1)

決めつけず、曖昧を遊ぶ。科学万能主義や物質文明にも疑問の目を向けながら、精神の自由さを取り戻そう、と。可能性や余地を残すという考え方は、いま、きわめて大きな意味を持つようにも思う。

<萬画宣言>

マンガは“萬画”だ!

一、萬画は万画(よろずが)です。あらゆる事象を表現できるからです。

一、萬画は万人の嗜好にあう(愛されるし、親しみやすい)メディアです。

一、萬画は一から万(無限大の意も含む)のコマによる表現です。従って萬画は、無限大の可能性を持つメディアである、とも言えるでしょう。

一、萬画を英語風に言えば・・・Million Art。

Millionは百万ですが、日本語の万と同じく「たくさん」の意味があるからです。頭文字を継げれば、M・Aです。

一、M・Aは即ち“MA”NGAの意。(※3)

1989年に描かれた手塚治虫氏への追悼作品『風のように』の最終ページに発表されたのがこの「萬画宣言」。晩年「萬画という言葉を考えたのは僕だけれど、最初に萬画を作ったのは手塚さんである」としながら、「もっと豊かな表現の可能性がまだまだ未開発で残っているこのメディアを、僕らが作ってきたジャンルや手法や出版の仕組みにとらわれて、狭めてしまわないでほしい。このメディアが積み上げてきたもの、そして積み残してきたものを、そろそろ一息ついて見直す余裕を持ってほしい。戦後文化の象徴とも言えるマンガという表現も、穏やかに成熟の時代を迎えてほしいのだ(※1)」との思いを遺している。

※1=不肖の息子から不肖の息子たちへ 絆/NTT出版 鳥影社
※2=学習研究社「高1コース」1979年
※3=「風のように」