1月25日に生誕82周年を迎えた石ノ森章太郎。
ギネス世界記録※を持つほどの多くの作品を残していますが、中でも石ノ森の観点から「未来」を問う作品は数多く見受けられます。石ノ森が作品を描いていた当時のそのビジョンは、どれほど現実と合致しているのか。2021年の今、その作品群の中からピックアップしてご紹介します。
※「一人の著者が描いたコミックの出版作品数が世界で最も多い」として2008年に認定。
1月25日に生誕82周年を迎えた石ノ森章太郎。
ギネス世界記録※を持つほどの多くの作品を残していますが、中でも石ノ森の観点から「未来」を問う作品は数多く見受けられます。石ノ森が作品を描いていた当時のそのビジョンは、どれほど現実と合致しているのか。2021年の今、その作品群の中からピックアップしてご紹介します。
※「一人の著者が描いたコミックの出版作品数が世界で最も多い」として2008年に認定。
今年で50周年を迎える作品。
改造人間というアイディアが当時としては斬新でそもそもは「バッタ人間」であり、マンガ版での初登場時には「大自然がつかわした正義の戦士」と名乗っている。
仮面ライダーが登場した1970年代初頭は高度経済成長の余波として公害問題が顕在化し、宮城県の豊かな自然環境で幼少期を過ごした石ノ森としては、失われていこうとする自然に対する警鐘を鳴らしたい気持ちも現れ、唯一無二のキャラクターを生んだのだろう。今では人々の環境意識も高まり、屋上緑化なども広がり、昨年からはゴミ袋の有料化に伴いエコバッグを持つ人も増えており、地球環境について意識をする人も増えていることだろう。
昆虫と人間のミックスという斬新な設定で生まれた仮面ライダーは、当時から今に至るまで子どもたちの圧倒的な人気を得て、今日まで連綿とそのイズムが継承されている。
人間の勘とロボットならではの科学を対比させた刑事ドラマ作品。
今では当たり前になった科学的知見での捜査をするロボットの刑事というキャラクターと、足や勘での「人間的な」捜査に重きを置き、科学や機械に否定的な老刑事とタッグを組ませ事件を解決していく中で、次第にお互いの心が通じていく様子を描いている。
主人公のロボット刑事「K」は、高度な知性と人間と同様の感情を持ち、さながら戦うAIである。現在、加速度的に進化中のAI技術がいずれ人間の感情を理解するのは可能だと言われ、実際、警視庁の附属機関に「科学警察研究所」があることからも、まさにロボット刑事の世界が近づいているのかもしれない。
このマンガの中で提示されたのは「フィーリングコミック」という架空のマンガ媒体。今で言えば感覚に働きかけるマンガだろうか。
暴力などのアクション、そして性的な描写といった過激な表現の内容から、葛藤を抱えながらも絶え間なく受け手を挑発しつづけることで読者や視聴者を引き続け、作者は時代の寵児にのし上がっていく。
そして主人公のライバルはYouTubeのような個人メディアにより激しい批評を仕掛けてくる。相手のスキャンダルも出世のネタ(炎上商法?)。自己の影響力を過信し刺激の提供に執心する現代のメディアにも通じるものがないだろうか?
石ノ森はそんな未来を見透かし、「おとし穴」に気をつけろ!と警告していたのかもしれない。
※石ノ森章太郎デジタル大全『大侵略』に収録
破壊力抜群の石ノ森調ナンセンス・ブラックコメディー。
タイトル通り、増税や物価高に喜ぶマゾーな国民と、臣下のクビをぽんぽん飛ばすサドーな王様によるスラップスティックな作品。
しかし、「もっとイジメロー」と叫ぶ声は国民の逆ギレをイメージさせ、どんどんエスカレートする王様は施政者の浮世離れ感を想起させる。
刺激を求める姿は今の世の中にも少なからず見受けられる存在かもしれない。徹底的なギャグながらも、どこか背筋が寒くなる作品。
なにがなんでも出世してやる!という「モーレツ時代」を象徴するようなギャグの掌編。
ワナやオンナ、あらゆる策を用いて敵を蹴落とすサラリーマン…というキャラは昭和のころには皮肉を込めて描かれがちだった。
その意味で、平成を経て令和になり、時代の空気は大きく変わったといえる。が、企業の意思決定が株主の利益に偏りがちな昨今、もはやAIに代替可能では?という思考実験も始まっている。なんともブラックなオチに、笑えるか、黙り込むか…。
時間と空間をスリップし、その先の人物に憑依していく物語を1話読み切りで連載していた作品で、その中のリアルとヴァーチャルの混濁がテーマの話。
ちなみに1995年は任天堂の「スーパーファミコン」に、衛星データ放送を使ってゲームソフト等を送信できるサービス「サテラビュー」が登場した年だ。
こういったゲームの世界を見た石ノ森が「現実と仮想世界の境界」に興味が向かったことは想像に難くない。
また、この年、インターネットに標準対応したWindows95が発売されたことも象徴的な出来事であった。
そして現代、ヴァーチャルリアリティ(VR)空間を提供するサービスも数多くなり、その精度も格段に上がっている。今後、私たちは、ますます現実と仮想の区別がつきにくくなるかもしれない。
「井の中の蛙大海を知らず」…冒頭に記されている有名な慣用句である。この話では、石ノ森は、まさに“そのような”知識人に対して当てこすったような印象を受ける。
「学者というものは、どこの世界でも—自分の知らないことは幻覚などといって無視するものなんだ…」「…孤高の大科学者とか大芸術家と呼ばれる者ほど人一倍利己的で嫉妬心が強いものさ」
そして知識をひけらかすことを夜空に咲く花火として表現した。YouTubeやSNSなど自分でメディアが持てて意見を自由に言えるようになった現代、あなたにはこの話がどう映るのだろうか?
石ノ森得意のナンセンス・ギャグだが、一概に「ナンセンス」とは言えない啓示に満ちた作品。
タイムスリップした未来都市は、じつは廃墟で、人は住んでいない。「だいたい都会なんてものがないんだヨ!」と、
交通が発達すればみんな好きな場所で分散生活ができる未来…。それはコロナ禍でリモートワークが推奨されるようになり、地方都市やリゾート地の不動産人気が高まって“常識がひっくり返されている”今を見通しているかのようにも思える。
また、全員同じ顔をした女性たちを見て「美容整形が発達しているからみんな一ヶ月位で流行の顔に変えちゃうんだから!」というくだりも笑えるような笑えないような…。
何年か前までは、誰もが一笑に付していた「ロボットに征服される人類」。しかし、根拠のないところに想像は発展しにくい。
スタンリー・キューブリックの『2001年 宇宙の旅』を好きな映画に上げていた石ノ森は、ロボット(AI)と人類の未来について思いを馳せ、この作品を描いたのかもしれない。
そして、一般のニュースでもAIが頻繁に取り上げられるようになった現代、「人類とロボットは共生可能か?」という議論がにわかにリアリティを持ち始めている。
※今回ご紹介したシーンは、石ノ森章太郎デジタル大全『リュウの道』第3巻に収録
この話では、石ノ森の長年の強い興味対象であったと思われる「脳の未使用領域=潜在意識の覚醒」というテーマに「新思考時代の訪れ」として取り組んでいる。
しかし、現代のような「脳の未使用領域」をフル活用しなければならないような情報の洪水を前提として、他者への攻撃や退廃的になる者、
利己主義者、直線的思考しかできない“がんこ者”をふるい落としたあと、どのような発見や進化を遂げるのだろうか?
“私”としてリュウと対話する相手は、“人間”の意識に問いかける。まさにSNSなどで各個人の“人間としての本性”がつまびらかになってしまう現代にも突きつけられる絶え間ない“問い”が、50年以上も前になされている。
※今回ご紹介したシーンは、石ノ森章太郎デジタル大全『リュウの道』第8巻に収録
タイムスリップSF作品のなかで「性」をテーマに取り組んだ話。
性行為が機械によって行われるという未来を舞台にした話であるが作品が発表された1970年ごろ、(いわゆる)先進国を中心に人口爆発を防ぐための「バース・コントロール=産児制限」が話題となった。中国で行われた「一人っ子政策」が代表的である。当時、日本の人口は1967年に初めて1億人を超え、2008年には1億2808万人に達したが、以降減少し続けている(少子化問題)。しかし世界の人口は1970年時点で37億人を超え、2100年には途上国の衛生状態が向上し110億人に近づくと見られている。人口爆発は問題だが、かといって国力は人口と比例関係にあることで、解決の道筋は一筋縄ではない。と同時に、先進国では性がヴァーチャルに置き換えられる傾向があるとされ、より複雑な問題になっている。
「時代」に見捨てられた人々…。
合理化が進んで21世紀になった日本でも「勝ち組vs負け組」から、正規と非正規、富と貧困など、さまざまな対比が問題視されるようになった。50年前に描かれたこの作品は、廃墟となった都市に取り残された“狂人(クレイジー)”や“病人(シッカー)”がまだ持っている前時代的な義理や人情、義侠心に救われる主人公たちを写す。
「それまで比較的緩やかだった“文明”の流れが急激に…加速度を加えて進行し始めた時代だった 秒単位で入れ代わる情報……一日単位で変化する日常生活のシステム……(中略)この見捨てられた都市の住民たちは……その急激な変化におのれを順応できなかった人々なんだ」。
庇ってくれた侠客の「わしらは未来が嫌いでな」のセリフが胸をえぐる。
「人間は、何をした?」という問いから始まる最終章。
日本における公害問題が顕在化し始めた1970年代のきわめて初期に問題提起された作品である。
現在、環境問題に対する意識は(いわゆる)先進国ではかなり共有されつつあるようだが、プラスチックゴミの海洋流出など課題はまだまだ多い。
当作品では海ガメの胃から見つかったポリエチレンの袋についてすでに言及している。そして、「地球が人間を病と認識する」とまで言っている…。
昨今の異常気象など、まだ明確な因果関係はつかめないものの、地球に負わせたダメージを回復することが未来そのものである、という認識が生まれつつあるのだとしたら、その火を絶やさないようにしなくてはならない。
そもそも「良心回路」とは何か。
その設定を本作品の核に据えた石ノ森にはどのような思いがあったのか。かねてからロボットや機械と共存する未来を夢想していた作者のこだわりが、そこには感じられる。
それはつまり、「良心」をインストールしないとロボットは人間の思考や行動に従わないのではないか?という逆説的な疑問から始まるのかもしれない。ところが、善とは?悪とは?という二元論を超えて、物語は進む。
この定義の問題はネットの時代にも残る。そして、その「良心」を、誰が、どう設定するのか。この問題は今後さらに議論されるであろう。
サイボーグ化された人間…。
本作品にはその設定から悲劇的にも捉えられるエピソードが多いが、現在進められているサイボーグ化(?)ともいえる現実のプロジェクトは、人間の機能を補完する技術として、「人生100年時代」という掛け声もあり、非常に注目されている。
信州大学による「歩行アシストサイボーグプロジェクト」を始め、医療目的のもの、重いものを持ち上げられるようになる等の機能強化目的のものなどがあげられる。
そして、この分野の研究開発は日進月歩ならぬ秒進分歩であり、これからの新しい研究発表がますます期待できる。
参照:ISHIMORI MAGAZINE 07
信州大学先鋭領域融合研究群 バイオメディカル研究所 齋藤直人所長 インタビュー