石森プロ

まずは石ノ森萬画館のコンセプトについて教えていただけますでしょうか。また開館当初から、どのような「石ノ森イズム」を意識されて運営されていますか?

木村さん

萬画館の外観は宇宙船をイメージしています。石ノ森先生が生前デザインしてくれたんです。そして石ノ森先生は、萬画館が建つ中州がニューヨークのマンハッタン島に形が似ていることから、ここを「マンガッタン」と名付けてくれました。宇宙船に石ノ森キャラクターたちが乗って来てマンガッタンに着陸し、石巻の街中に繰り出して街を元気にする、そんなコンセプトで萬画館は立てられました。
そして私たちは石ノ森先生が提唱する『萬画宣言』の考え方に則り、先入観や固定観念にとらわれない自由な発想(マンガ的発想)で運営することを意識してきました。

石森プロ

開館当時を振り返っていただいて、まず萬画館建設に至る経緯を教えてください。

木村さん

1995年に石ノ森先生が日本製紙石巻工場を視察にいらっしゃいまして、その時に当時の石巻市長と会談がなされました。石巻は宮城県では仙台に次いで第二の都市なのに過疎化が進み、基幹産業が衰退の一途をたどり、さらに郊外には大型店が出店して中心市街地の空洞化が進むなど街に元気がなくなっていました。
これからどうしようと思っていた時に石ノ森先生と出会い、石巻は石ノ森先生が中学生時代によく映画を観に来ていたという縁もあり、急遽「マンガによるまちづくり」の話が浮上したんです。しかし市は税収の減少による財政難を理由にあまり乗り気ではなかったんですね。でも石ノ森先生をはじめとするマンガジャパンの先生方が全面的に協力してくれるというこの機会を逃したら二度とこんなチャンスは巡ってこないと考えた市民有志が中心となって市民団体を作り、署名を集めたり様々なイベントを行ったりして機運を高めていったんです。
しかし、これまで漁業や水産業、造船業等で栄えてきた地方都市では「マンガでまちおこし」という新しい取り組みは受け入れてもらえず「マンガなんかでまちおこしができるか!」「税金の無駄使いだ!」など罵声を浴びせられ、多くの市民に反対をされました。今でこそマンガやアニメによるまちおこしは全国各地で行われていますが、25年ほど前はほとんどなかったので仕方ないと思います。でもマンガの可能性を訴え続け、仲間の輪を広げ、そして石巻市をも巻き込み、文字通り官民一体となって「マンガによるまちづくり」の実現に向かって進み始めました。

1998年1月に石ノ森先生がご逝去された後、このプロジェクトが一時白紙になりました。しかし夢にまで見た石ノ森萬画館の建設がすぐ目の前まできているのに諦めるわけにはいきません。なお一層市民運動を繰り広げ、応援する市民や漫画家、出版関係等、たくさんの皆様の後押しをいただきながら盛り上げていき、2001年7月23日に晴れて石ノ森萬画館がオープンしたのです。オープニングセレモニーでは、利子夫人をはじめとする石森プロ関係者の皆様、ちばてつや先生をはじめとする漫画家の先生方などたくさんの方々に参列いただき祝福されましたが、ここに石ノ森先生がいなかったのがとても残念でなりませんでした。

石森プロ

館内の常設展示についてのコンセプトはなんでしょうか?

木村さん

中田町の石ノ森章太郎ふるさと記念館が石ノ森先生の人となりを紹介するミュージアムで、石巻の石ノ森萬画館は石ノ森作品を紹介するミュージアムとなっており、2館が一緒になって展示が完結するようになっています。
常設展示室では「サイボーグ009」「仮面ライダー」「キカイダー」をはじめとする代表作の作品世界を立体的に展示しており、幼い頃に憧れたヒーローとふれあったり、夢中になって読んだマンガの原画を楽しんでいただくほか、今なお色あせない石ノ森ワールドに浸っていただけたらと思っています。

石森プロ

館内1階にある映像ホール。その上映作品の見どころがあれば教えてください。

木村さん

石ノ森萬画館では、「龍神沼」「消えた赤ずきんちゃん」「シージェッター海斗特別編」の3つの短編映画を上映しています。これらは全て萬画館に来ないと観ることができない貴重な作品です。中でも石ノ森先生が遺したデザイン画をもとに石巻のヒーローとして誕生させた「シージェッター海斗」の映像は、平成仮面ライダーシリーズを手掛けた制作陣、ミスター仮面ライダーの高岩成二さん、仮面ライダーカブトに出演した佐藤祐基さんといったキャスト陣、さらに劇中主題歌は水木一郎さんが歌唱するといった超豪華な作品となっており、絶対にオススメです!

石森プロ

これまでに実施されてきた、石ノ森作品関係の企画展もこれまでに多く実施されてきましたが、来場者の方の反応や「こういった展示で石ノ森作品の魅力を伝えてきた!」という展示内容への想いやエピソードがあれば教えてください。

木村さん

石ノ森作品は、とにかく作品数が多くジャンルも多岐にわたるので、変化にとんだ企画展をすることができます。そしてどの作品も奥が深く、いろいろなテーマや展示構成を考えられるのでとてもやりがいがありますが、その分たいへんな企画展でもありますね(笑)。
石ノ森先生の原画はとても綺麗だし、迫力もあって、とにかく素晴らしいので、できるだけ原画を生で観ていただいて「原画の力」を感じて頂けるように心がけています。
中には原画に見入って動かないお客様もいらっしゃいます。

石森プロ

 萬画館のお話を伺う中で避けて通れない部分ではありますが・・・、2011.3.11「東日本大震災」発生までの萬画館と、発生後の萬画館、振り返ってみての施設の在り方等、どのように考えていらっしゃいますでしょうか?

木村さん

震災前後の萬画館の在り方と言うよりは、自分自身の考え方の変化なのですが、
震災前はどちらかというと「自分たちの力で何とかしないといけない!」「ファンの方や他の方に迷惑をかけちゃいけない!」といった気持ちが強くて、変に気張っていたような気がします。震災後にたくさんの方が萬画館に来てくれたのですが、その中にある出版社の方がいて、若い時に石ノ森先生にとてもお世話になって、今の自分があるのは石ノ森先生のおかげなんです、と言っていました。でも先生は若くして亡くなってしまったので恩返しができなくて、せめてもの恩返しと思って萬画館を支援しに来た、これからも自分ができることを協力させてほしいとおっしゃっていました。その時にはっと思ったんです。今までは自分たちで何とかすることだけを考えていたのですが、そうやって力を貸してくれる人がたくさんいるんだと。そういった方々に力を借りていいんだ、甘えていいんだ、むしろそれを待っている方もいるんだ、ということを感じました。虫の良い話かもしれませんが、いろんな方々の力を借りながら一緒になって萬画館を育てていきたいと思うようになりました。

石森プロ

石巻市の人たちの石ノ森章太郎に対する気持ちや意識について、開館当時からの変化などはありましたでしょうか?

木村さん

25年前、マンガの活動をはじめた当初は石ノ森先生の名前や作品を知っていた市民はそんなに多くはなかったかもしれません。しかし今では石巻市民で石ノ森先生の名前を知らない人はほとんどいないと思います。

石森プロ

最後にご覧の方へ、メッセージをお願い致します。

木村さん

石ノ森萬画館がオープンしてから来年7月で20周年を迎えます。
この20年、市民運動を始めてからは25年余りがたちますが、この間たくさんの困難にぶち当たりました。でもそのたびにたくさんの方々に励まされ、助けられて越えてくることができました。これからもそういった皆さんに恩返しができるように頑張っていきたいと思っています。恩返しとは何か…、それは石ノ森先生や石ノ森作品を大切にして伝えていくこと、そしてマンガを活用してこの地域を元気にしていくことだと思っています。
これからもマンガ的発想で面白いことをたくさんしていきたいと思いますので応援していただけたら嬉しいです。そしてぜひ何度でも石巻に来てください!

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木村 仁 (きむら ひとし) 1968年1月30日生

2001年4月㈱街づくりまんぼう入社。同年7月にオープンした石ノ森萬画館の企画営業責任者として企画展の構築やマスコミ各社、旅行会社等への営業を行う傍ら、マンガで街を元気にするために地域と連携したイベント等にも取り組んできた。2019年に同社代表取締役専務に就任し、官公庁をはじめ様々な業界の人たちと石巻の活性化に向けて奔走している。