「青いマン華鏡」前編

数多くの作品を描き、長編の傑作も数知れず、短編作品も当然の如く、心に残るものが多数存在致します。小説で例えるなら、私小説的な作品も、作者の作品郡をみると、決して少なくありません。そのような作品を並べてみると、やはり、故郷での出来事や、上京後のトキワ壮時代の話が多いような気がいたします。

今回取り上げる作品は、その私小説的な短編作品の一つですが、お姉さまの存在、そして、当時の苦悩など、普段弱音を吐いたり愚痴を口にしたりすることは決してない人なので、僕自身も、作品を通して、その真の思いを知ることが多いのです。そういう意味では、この作品は胸が締め付けられるような痛みを伴いますが、読後は良い意味で切ない想いに駆られ、作者の心の奥底を垣間見ることが出来、身内としてはとても大切に思える作品です。

作者の故郷である仙台行きの東北本線の車内から物語が始まります。新幹線ではなく、しかも車内で煙草を加えている姿で、これを描いた年が、どれだけ古いか理解出来ます。作者の代表作の一つ、「ジュン」にそっくりな少年が、隣に座って万華鏡を覗いています。それを借りて、作者本人も覗くと、そこには、隣に座っていた少年が現れ、少年が過ごす時間が走馬燈のように流れて行きます。もちろん、その少年は作者自身。少年時代、大自然のなか遊び、そして描いた萬画をお姉さんに見せている情景。万華鏡から目を外し隣に向けると、もう少年の姿はいなくて、お姉さんが座っています。

再び、万華鏡に目を向けると、今度は青年時代。夢中になって萬画を描き、それを父親に強く反対されている様子、描いた絵をお父様に破かれ、悲しみに打ちひしがれているのを、お姉様が慰めている。それらを、万華鏡の八角形の八つの画面に刻む構図で全て物語る作者の技量には、今読んでも驚かされます。

余談ですが、この作品中に登場する、石森萬画キャラクターが万華鏡内に総出するカットは、現在、作者のお墓に彫られています。話を戻しますが、再び、万華鏡から外すと、今度は、青年になったジュンそっくりの男が座っています。

作者が何処まで行くのか尋ねると、その青年は「東京まで」と。作者は仙台行に乗ったのにそれはないと否定すると、車窓から流れる煙が見え、東京行きの機関車に乗っていることに気付きます。ここからは、上京してからの生活になります。当時、作者がどういうことを考え、そしてどんな苦悩があったのか、手に取るように感じることが出来、改めて読んでみても、非常に興味深くコマを追っていきました。

この話は、また次回―。

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