「青いマン華鏡 後編」

以前、初めて青年誌を立ち上げた元小学館の伝説の編集長だった小西湧之助さんのお話をさせて頂いたと思うのですが、石森章太郎という萬画家が描く作品は大人っぽ過ぎて、所謂、その業界の大人たちには認められていたけど、読者の少年少女達には受けなくて、ヒット作になかなか恵まれない、玄人受けするコアな萬画家であったと。

そのお話をお聞きしても、自分の中では、自分の中では描きたいように楽しく描いていた印象を持っておりましたが、改めて、この短編作品に触れてみて、相当な苦悩を抱えていたのだと、正直言いますと、ホッとしました。天才と言われた男でも、誰もが抱える悩みや葛藤を抱いていたことを知ったからです。子供の頃に読んでも気付かなかった事が、この歳で触れると身に沁みます。

この万華鏡に現れる青年は、トキワ壮と思しきアパートの部屋内で姉に吐露します。第一声が、「誰も僕のマンガをわかっちゃいない」、そして、こう続けます。「男の子も女の子も分かるような、動物マンガは―、新し過ぎるマンガはいらないって、編集は言うんだ」「マンガは芸術なんだ! それなのに、あの編集のやつ、たかが読み捨てのマンガなんて言いやがって!」と。

これは恐らく、当時の作者の本音でしょう。特にトキワ壮時代の友人たちの描くマンガがヒットをし始めて、それは嬉しい反面、世の中は何故自分の表現するものを評価してくれないのかと悶々としていたに違いありません。エンターティメント性を強く意識して発表した「サイボーグ009」でさえ、登場人物が多くて難解だと、読者や編集者からの批判があったそうですから。

青いマン華鏡」では、苦悩する主人公に、姉がこう励まします。「江戸時代の写楽は、新し過ぎると、ちっとも人気が出なかった。でも今や、世界を代表する画家の一人よ」「小説家はなぜ小説を書くの?画家をなぜ絵を描くの?自分が感じた事、感動した事を文章や絵を通して、皆に感じてほしい。わかってもらいたいからじゃなくて?」

すると、表現を変更して分かりやすくしろと、編集に言われたと言います。「アメリカのジョンフォードという監督は、三流の西部劇を撮り続け、ある時、『駅馬車』という名作を創り上げたの。駅馬車は難しい?黒澤明監督の『七人の侍』は分かりにくい?難しくすることが芸術じゃないと思うわ」その言葉が遺言のように、姉は急死してしまいます。

きっとその言葉が苦悩から抜け出せたヒントだったのでしょう。その後の石森作品を見れば、それが分かります。そして、その言葉は、悶々とした現在の自分の背中を押すほど、心を強く揺さぶる言葉であることは間違いありません。

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